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阿蘇 (空母) : ミニ英和和英辞書
阿蘇 (空母)[あそ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
空母 : [くうぼ]
 【名詞】 1. aircraft carrier 
: [はは]
 【名詞】 1. (hum) mother 

阿蘇 (空母) : ウィキペディア日本語版
阿蘇 (空母)[あそ]

阿蘇(あそ)は日本海軍の未成航空母艦#海軍軍備(4)p.18『新艦|阿蘇(三〇二型)|二〇.九.末|(未完60%)|一九.一一.一進水/一九.一一.九工事中止指令』〕。雲龍型航空母艦の5番艦〔#艦艇類別等級表(昭和19年11月30日)p.3『航空母艦| |雲龍型|雲龍、天城、葛城、笠置、阿蘇、生駒|』〕。終戦直前、特攻兵器の標的艦となった。艦名は九州阿蘇山による。艦名は装甲巡洋艦の「阿蘇」に次いで2代目。
候補艦名は身延〔参考文献「片桐大自(1993)、78頁」(項目名:天城)によれば、遠藤昭氏の「世界の艦船」No.129 掲載記事にもとづく候補艦名。〕。
== 概要 ==
1942年(昭和17年)度策定の改マル5計画により第5006号艦として計画された〔#写真日本の軍艦第3巻p.250上の写真及びその解説。〕。主機の生産が間に合わず、「葛城」と同様に駆逐艦用の主機を2組搭載した〔#海軍造船技術概要p.266〕〔#海軍造船技術概要p.267、#写真日本の軍艦第3巻p.232では「陽炎型駆逐艦」と書かれているが、#主要々目及特徴一覧表の備考欄には「但し葛城、阿蘇は駆乙用機関4基」の記載がある。「駆乙」は秋月型駆逐艦の意味と思われる。〕。そのため出力は104,000馬力、速力は32ノット雲龍は152,000馬力、34ノット)に低下する計画だった〔〔#写真日本の軍艦第3巻p.232〕。
1943年(昭和18年)6月8日、本艦は呉海軍工廠で起工〔〔#S1805呉鎮(2)p.58『八|雨 二〇 二|雨 二三 六|(略)呉工廠ニ於テ第五〇〇六號艦起工(以下略)』〕。同日、桂島泊地では長門型戦艦2番艦「陸奥」が爆沈した。
1944年(昭和19年)9月5日に「阿蘇」と命名〔#昭和19年8月~9月秘海軍公報9月(1)p.33、達第二九三號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ軍艦三隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十九年九月五日 海軍大臣 三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 軍艦 笠置(カサギ) 呉海軍工廠ニ於テ建造 軍艦 阿蘇(アソ) 川崎重工業株式會社ニ於テ建造 軍艦 生駒(イコマ)〕、雲龍型の5番艦とし〔、本籍は呉鎮守府と仮定された〔#昭和19年8月~9月秘海軍公報9月(1)pp.44-45、内令第一〇四六號 軍艦 笠置 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト假定ス 軍艦 阿蘇 右本籍ヲ呉鎮守府ト假定ス 軍艦 生駒 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト假定ス 昭和十九年九月五日 海軍大臣〕。同年11月1日に進水〔〔、同日附で呉鎮守府籍〔#内令第1226号p.39『内令第一二二六號|軍艦 阿蘇 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|横須賀鎮守府予備海防艦 第六號海防艦 右警備海防艦ト定メラル|第十三號輸送艦 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル|昭和十九年十一月一日 海軍大臣』〕。だが11月9日に進捗率60%、上部構造未着手の状態で工事は中止された〔〔。
1945年(昭和20年)5月20日、大本営は海軍省軍務局長・海軍航空本部・海軍艦政本部両総務部長に対し、現用特攻機の威力不足を指摘した上で「画期的威力増大のため至急研究実現に努力されたし」と要望、その概要を示した〔#戦史叢書海軍軍戦備(2)145-146頁『四 特攻機威力増大方策実施の推移』〕。これにより、新型爆弾の実験を実際の大型艦で行うことになった。当初、軍令部伊勢型戦艦2隻(伊勢日向)のどちらかを標的艦とする予定だったが、諸事情により未完成中型空母「阿蘇」を使用することになる〔〔#海軍軍備(6)p.59『(註)五月下旬実艦的を使用し射出機より特攻機を射出し其の威力を実験せんとの要望軍令部より提出せられ、当初伊勢、日向の一艦を実験用に充当するの予定なりしも諸種の事情により阿蘇を使用することとなれり』〕。当時の「阿蘇」は1万トン程度の排水量しかなかったという〔#海軍軍備(6)p.59『使用機|阿蘇(中型空母)(未成艦にして飛行甲板なく当時の排水量一萬噸)』〕。
その後、二度にわたりV頭部魚雷、頭部V爆弾(炸裂威力増大のため、内部に特別の加工を施した爆弾。桜花搭載用)、通常爆弾、陸軍考案の「桜弾」の各種爆発実験が「阿蘇」を対象にして実施された〔〔#海軍軍備(6)p.59『呉工廠甲號実驗成績』〕。呉海軍工廠の妹尾知之工廠長の指揮下で行われた実験のうち、有名なのものが倉橋島大迫特殊潜航艇基地沖において成形火薬を利用した日本陸軍の特攻機用爆弾桜弾(さくら弾)の実験である。実験は「阿蘇」艦尾部にを設置して桜弾を設置(飛行甲板の高さ)〔#海軍軍備(6)p.59『(実驗弾種)桜弾(陸軍)|(装備状況)最上甲板上飛行甲板と同高の櫓上(艦最後部)(撃角二〇度)|(結果)艦底破孔 六九〇×八〇〇 浸水一五〇T』〕、爆発させるという手順で実施された〔#日本空母物語278頁〕。モンロー効果により爆風は上甲板・中甲板・下甲板・艦底を貫通したが、浸水区画は限定的(浸水量150トン)であった〔#艦と人206頁〕〔〔#海軍軍備(6)p.59『概報要領 一.四式頭部の空中炸裂威力は比較的小にして特攻兵器として使用する価値小なり/二.V爆弾は通常爆弾に比し穿孔威力大なるを以て速かに完成し通常爆弾との優劣を検討するを要す/三.桜弾は船体に与ふる損害比較的小なるも弾薬庫等命中箇所によりては艦に致命的損害を与へ得るものと認む/四.一般に穿孔弾は直線的に火焔の進行途上の物件を破壊するも少しく之に外れたるものに対しては影響少し』〕。
「阿蘇」は5度傾斜したのみで沈没には至らず、その後次第に浸水し着底。このときの様子を記録した白黒写真が存在し、着底した姿を見ることができる〔。着底は7月24日の米艦載機の爆弾によるともいう。艦船研究家の福井静夫は本実験について「知識を欠いた用兵者の思いつきと暴走」と評している〔。なお陸軍は「桜弾」を搭載した四式重爆撃機「飛龍」桜弾機(キ167)を開発して飛行第62戦隊に配備、特攻兵器として沖縄戦末期に実戦投入したが、戦果はなかった。戦史叢書では『中央当局の努力にもかかわらず終戦までに具体的に搭乗員の崇高なる特攻精神にふさわしい威力を具備した特攻機は出現しなかった』と総括している〔〔#海軍軍備(6)p.60『而して作戰に実際使用されたのは零戰に五〇番爆弾、銀河に八〇番二發搭載の外終戦迄実効を表わしたるものがなく、右の二例も実施部隊の努力に依る處が多く、特攻機の威力増進に關しては終始第一線部隊の積極的であるのに対し、中央当局の努力にも拘わらず終戦迄具体的に搭乗員の崇高なる精神にふさわしい威力を具備した特攻機を出現せしめ得なかつたのは遺憾であつた。』〕。
戦後、「阿蘇」は1946年(昭和21年)12月20日浮揚、翌21日から播磨造船呉船渠(旧呉海軍工廠)で解体が開始され1947年(昭和22年)4月26日に解体を完了した〔運輸省海運総局掃海管船部管船課「日本海軍終戦時残存(内地)艦艇処分状況(1948年3月20日現在)」p.20、#終戦と帝国艦艇(復刻版)巻末資料2。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「阿蘇 (空母)」の詳細全文を読む




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